茅ヶ崎三線クラブ稽古場外伝

矢島三線工房・矢島敏が主宰する「茅ヶ崎三線クラブ」のお稽古、イベント等を綴ったブログです。


のぶちゃん、たかしさん、いくりん、見学、まこちゃん



とてつもなく難しいことをやっているってことは100も承知なのです。でも、みなさんは、それが手に届くところにいるってのが、僕の偽らない感動なのです。



とにかく焦りが禁物でして、いつでも身の丈の少しだけ上を見ながら冷静にいたいと思う次第であります。こうくればあとは時間の問題ですから。



最近、ことばに興味を持って、ごちゃごちゃやっています。話し言葉は音、意味の伝達。書き言葉は記録みたいな面があると思うのですが、話言葉に興味をいだいた結果、楽曲として歌詞の内容をつたえる構成のものとそうでないものがあるという考えに至りました。



琉球古典の、きーーゆーーーーぬーーーーーーーーー、みたいなものは、もう言葉の意味の伝達としては成り立っていないってのが、僕の見解でして、じゃあ、何?って疑問がでてきたところに、言霊、音霊という着想が浮かんでくるわけです。



曲そのものが、祈りに近いもの。



豪華なステンドグラスから光りの差し込む教会も、簡素で堂々とし、浮世離れした神社も、金色の仏壇で極楽浄土を演出する(?)お寺も、沖縄の御嶽であっても・・・それは人間界と隔絶する世界のイメージだと思うのですが、祈りそのものや、祈りってものへの自身の働きかけ、作用・・・”心”が目に見えない以上、どうしたら祈りそのものを高められるのか?って疑問に導かれる答えは、やはり”形”なんですね。



人に見せなくたって”お百度参り”とかするわけですから・・



ながながと書きましたが、目に見えないものを他人だけでなく、自分に見せ、確認するのも”形”


意味をどういうレベルで伝えるかって疑問はありますが、とにかく”心は形の修練”です。