茅ヶ崎三線クラブ稽古場外伝

矢島三線工房・矢島敏が主宰する「茅ヶ崎三線クラブ」のお稽古、イベント等を綴ったブログです。


1月30日(水) やさしいがじゅまる(辻堂明治公民館)



... 出席者: ひろしさん、スミスさん、いぐちゃん、しんすけさん、あおさん、



練習曲: かぎやで風、恩納節、揚作田、四つ竹、浦波節、染なし節、油断しるな、貫花



自分のメモ代わりと化してますが。。揚作田を練習している時に作田とはなんぞや?という疑問が。。という訳で得意のググり^^;



タイトルに「作田(ちくてん)」が付く曲には、作田節、早作田節、伊集早作田節、揚作田、中作田、などがある。
日本本土とアジア大陸の間に位置する沖縄では音楽においても中国の影響が注目されているが、東アジアや東南アジアの音楽には旋律の基本的な音を保ちつつ旋律全体を拡大または縮小する演奏法が広く存在するとされている。曲名に共通の言葉が用いられる曲には旋律の類似性が見られ、「作田」もその代表的な例である。以前外伝にも書いたが、ヂントーヨーもこの範疇?



歌詞に目を向ければ、「穂花咲き出ればちりひぢもつかぬ 白ちやねやなびきあぶし枕(稲の穂花が咲き出ると、塵や泥もつかないで白実をつつんでいる穂はなびいてあぜを枕にしている)」。豊作であるという世果報を喜び、豊年満作を祈る歌である。
昔、御冠船の唐の按司を接待する際、音楽家が接待の間の隣りに待機していて、唐の按司が、お箸をお手にして頂く時に、「フバー・・・」と歌いだしたら唐の按司はいたくお喜びなされて、「礼極まりて楽と成る、誠に之れ守礼の邦。」といわれてお褒めなられたという。



17世紀の琉球国、上級士族の家に生まれ琉球王室に仕えた音楽家、幸地賢忠(コウチケンチュウ)1623−1684という人が、作田節、早作田節、揚作田、を作曲したといわれている。その一門は湛水流と呼ばれ、後に野村流、安冨祖流が分かれた。こうしたことから琉球古典音楽の祖と呼ばれている。



幸地賢忠とはどんな人なのか興味が沸いた。
次のサイトが幸地賢忠について分かりやすく書かれていておもしろい。 沖縄県教育委員会道徳教育郷土資料『守礼』第2集(小学校用) 琉球古典音楽の祖−幸地賢忠 http://www.edu-c.open.ed.jp/keiei/iinkai/syurei/syou3/3-6tansui.pdf



以下のサイトを参照させていただきました:


    幸地賢忠 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%9C%B0%E8%B3%A2%E5%BF%A0


    琉球音楽の旋律における「拡大」と「縮小」 http://www.musicology-japan.org/publish/v54/Gillan.pdf


    琉球古典音楽野村流松村統絃会 http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache%3ALZPYog5zmRsJ%3Amatsumuratougenkai.ti-da.net%2Fe2717484.html+%E4%BD%9C%E7%94%B0%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%80%E7%90%89%E7%90%83&hl=ja&tbo=d&gl=jp&strip=1


三線な日々 by 吾天為 http://isibotoke.blog68.fc2.com/blog-entry-44.html