茅ヶ崎三線クラブ稽古場外伝

矢島三線工房・矢島敏が主宰する「茅ヶ崎三線クラブ」のお稽古、イベント等を綴ったブログです。

はじめの一歩 5月27日(月)19時〜  明治公民館音楽室



参加者  やまださん、とくださん、いとうさん、いちのせさん、ながおかさん、かとうさん、でがわさん、いまいしさん、ゆみさん




練習曲  安波節、新安里屋ユンタ、十九の春、童神、涙そうそう、赤田首里殿内、沖縄メンソーロー




三線教室、というと、三線が弾けるようになりたい、と入会してくる方がほとんどだと思います。なのに、なんでこんなに唄を唄うように言われるの?唄が三線より前に出るように、とか、はっきりと言葉がよく聴こえるようにもうすこし上を向いて、とか・・・(^^;)



・・・私もはじめはそうでした。
三線弾きたくて、入ったのに、と。
そして途中から気付かされたのです。
三線は伴奏なんだ、唄がメインの「沖縄民謡」の伴奏楽器なんだ、と。



もともと、沖縄の唄は、農作業をしながらの労働歌だったり、お祝の歌だったり、子守唄だったり、・・・そんな昔からある唄に、明治以降、三線が庶民に普及してからその唄に三線がくっついたらしいですね。(それまでは宮廷音楽やお侍さんたちの楽器だったそう・・・) 
だから「唄いながら弾く」、これが自然なんですね。



ポップス曲なら音階もわかりやすく、歌も標準語なのですんなりと頭に入るけれど、沖縄民謡は独特の音階や、それに時に変拍子で、五線譜の楽譜になじんだ人には信じられないリズムになることもあったり、やはりなじみがない私たちには「豊節は、はじめお経にしか聞こえなかった」という方が多いのもうなずけます。


だから、三線の教室に入ったのに、半分は唄のお稽古みたい・・・となるのです。



でも、政雄先生も矢島先生も「まずは唄から。唄を覚えないと弾けない」と言います。
私もそう思います。 三線工工四だけ覚えても、譜面だけ見ても弾けないのです。
唄をセットで覚えてこそ、の三線です。



沖縄民謡は奥が深くて、唄の数だけ、唄を学ぶ中に、その唄が生まれた場所やその時代の人たちの生活やいろんなものを知ることができます。
私はそこに住んだことはないけれど、その時代を生きていなかったけれど、その時代を想像しながら、その人たちに想いを馳せながら、その唄を唄わせてもらってとても幸せな時間を過ごしていることに感謝しながら、 いろいろな唄を、皆さんと一緒に唄っていけたらいいなと思います。
私もまだまだ知らないことだらけです。 はじめの一歩の皆さんからも毎回学ばせてもらっています。



それにしても



民謡はよくわからないから苦手、 ポップスはきらい、 どれもよくわからないとにかく唄が多すぎてたいへん、 ・・・・いろんなひとがいるけれど・とにかく「自分の習いたいこと、覚えたいこと」があって皆さん忙しい時間を割いてお稽古に来ていらっしゃいます。
ここに集うことになったのも何かの縁・・・・どうぞ楽しく学んでいきましょうね!



のぶこ




やじまコメント・・・


「まずは唄から。唄を覚えないと弾けない」


じゃなくて


”唄を覚えると弾ける”なのです。


それは、ひとづきあいでもわかるように
同じ対象に対して、別々の人が同じ付き合い方をするわけないのです。


この人と私はこういう付き合いだ・・・というところで
僕は対象となるその歌に伴奏をつけます。


よって、唄を覚えると弾ける・・・になるのです。


実は、この二つの台詞には大きな違いがあって、
三線の歴史において、沖縄人、大和人が三線との付き合い方が同じわけがないのです。


沖縄民謡を習いたいという気持ちと
三線を習いたいという気持ちは
別の気持ちだと思うのです。


三線奏楽というものも既にジャンルとして確率しています。


大和人が三線に何を求めたのか?


現在の大和人と三線の出会いは、三線ヒストリーに刻まれるべき現象だと思っています。


ここに関して、僕は非常に意識的です(^^)